落ちこぼれ達の予備校で逆転生活(めっちゃ楽しかった)

受験勉強

大学受験がすべて失敗した高3の冬。私は専門学校に入学の願書を提出していた。

高校出てすぐに就職はしたくなかったのでとりあえず専門学校で2年間通うことに決めていた。でも特別何かになりたかった訳でもなく、夢も目標も定まっていないまま専門学校を選んでそこに進学をしようとしていた。

受験に失敗したあと父から何度もやりなおさないか?と言われた

父は何回も大学へ行かないか?と私に尋ねていた。

父は大学を出ていなかったので、せめて息子には出てほしいと願っていたのは知っていた。

私は家族とともに小学校の時田舎から大阪に出てきた。父が転職をしたのだ。田舎にいてる時なら大学へ行かせれる余裕はなかったが、今なら行かせられる。

俺が味わえなった大学生活を経験してみろ。それに社会へ出たら、やはり学歴はついてくる。

専門学校も悪くはないが、本当にしたいことではないのならもう一度浪人して大学を目指さないか?

父は口酸っぱく言っていたが、勉強嫌いな私は受験から解放されたくて逃げるように専門学校を選んでいた。

仲良しの友人が浪人をすることにつられ・・

 ある日、同じ専門学校へ進学が決まっていた友達がいきなり専門学校へ進学するのを辞めると言い出した。

理由を聞くと、父親と同じようなことを言っていた。

それに彼は大学4年というのはやはり魅力的だし、専門学校へ行くのは浪人が失敗してからでも遅くはない。1年だけ真剣に勉強してみない?もしかしたら俺らも大学生になれるかもしれないと誘われた。

仲の良い友達だったので彼が専門学校へ行くなら私もそこでいいか程度で決めたことなので、彼が行かないという選択をすると今度は私も真剣に考えるようになった。

そして父親に浪人していいかな?と聞いてみた。父は喜んで「そうか!やる気になったか!よし、頑張れ!」と言ってくれたが、母は大激怒だった。

専門学校に入学金を払った後の撤回

入学金として100万円振り込んだ後だったので、その怒りは計り知れなかった。

父が母を説得してくれて何とか浪人させてもらえることになったが、我が家には大手予備校に通うお金がなかった。なので一番安い予備校を探すところから浪人生活が始まった。

安い値段の予備校を選び浪人をスタート

当時ネットも普及していない時代で、探すのに大変苦労したが、大阪の中津の近くにやっと安い予備校を見つけた。少人数制で個別指導もできるというのがウリの予備校だった。

不良っぽい人ばかりの予備校

春の入校式で人数は60人ぐらいで、高校の2クラス分の人数しかいない予備校であった。しかしメンツを見てすこし唖然とした。

あきらかに不良だったり奇抜なファッションをした子だったりと予備校生には到底見えない連中がほとんどだった。

わけありの浪人生が集まる青空教室

この予備校は大阪で一番安い予備校として広告を打っていたので、うちみたいな家庭の人だったり、大手予備校に現役の時に通っていたがついていけなかった人等が多くいた。

また、不良に見えた子たちも話してみると案外気さくな性格ですぐに打ち解けた。勉強が苦手な子たちが集まっている予備校で目標は大学進学。

夢は皆一緒だったが本当に進学できるのかはまだ誰も不安しかなかった。

私は国語だけは得意だったので、現代文は何もしなくても高得点が勝手に取れた。英語、数学は大の苦手で、特に数学は楽しい算数から始めたほうが良いレベルであった。

行きたい大学を探すレベルでも無く、いける大学を探すところからのスタートだった。

なんとか浪人らしい勉強のスタートを始めるが・・

推薦入試で英語、国語、そしてまだ得意な方の分野である日本史で受験できる大学を探した。オープンキャンパスにも通い、1つだけ行ってみたいと思う大学を見つけた。

目標は定まったので後は勉強するだけだった。勉強も受験用に知識を得るのではなく、まずは英語を徹底的に覚えることを始めた。

当時即戦ゼミという参考書が絶大な人気を誇っていて、丸々一冊暗記するという勉強法だった。ひたすら暗記ペンを引いて覚える。

それと同時に英単語も1000個覚える。毎日毎日その繰り返しだった。予備校は割と自由な感じで受けたい授業にでてもいいし、自習室で勉強してもいいスタイルだった。

今思えばそのスタイルだったからこそ続けれたと思う。

予備校にいきながら野球も始める

仲良くなった予備校生に高校3年間野球部で頑張って浪人になった子がいた。その子は体つきもよく、パワーバッターの感じがしていたが、クラブではスタメンではなく代打の切り札だったらしい。

監督にはお前は秘密兵器だからと言われ続け、3年間秘密で終わったとよく笑いながら話していた。

そしてある日彼がスランプに陥った時、だれかれとなく野球しないか?と言い出した。

予備校の近くには公園のグランドがあり、ボールとバットを持ち寄り午前中の自習をそっちのけで野球をやるようになった。

昼からは遅れた時間を取り戻すように勉強に励んだ。

結果野球をすることによって日に焼け、予備校行くたびに黒くなって帰ってくる私に母はさぼってるの?と疑問をなげかけてくるようになった。

青空教室やねんと母に笑いながら答えていた。

夏がおわり本格的に受験モード

夏が終わると推薦入試も近づいてきた。流石にこのころになると誰もが野球よりも勉強に専念していた。

受験日までの残りの日数がカレンダーに×されていくと緊張も高まってきた。

予備校の先生も変な先生が多かった

予備校の先生も若干変わっている人が多くて、古典の先生は当時の走り屋が喜んで乗っていた日産シルビアの改造車に乗ってやってきていた。そして夜の仕事みたいな派手さを持っていた。

歴史の先生はギリシャ人と付き合っていて、時々予備校に彼女を呼んでいた。

国語の先生は一緒に野球をして皆と騒ぐのが好きだった。

突然、予備校の移転

毎日楽しく予備校に通っていたのだが、急に予備校の移転が決まった。

移転先は元あった予備校より近くだったが、何かの企業の会議室みたいなところだった。

どうやら予備校自体も経営がずっと厳しくて、今年の受験を最後に閉校されるということだった。

勉強も苦痛ではなく楽しく自分のペースで勉強できたこの予備校が皆好きだった。少人数制で皆本当に仲良くなったし、お互いが得意な分野を苦手な子に教えてあげたりしていた。

参考書がボロボロになるまで勉強した結果・・

受験前には暗記していた参考書はボロボロになっていたがそのほとんどは丸覚え出来ていた。単語帳はもはや黒ずんでいたし、所々破れていた。

それでも秋の模試では入学する前より明らかに偏差値は上がっていたし、何よりも参考書がボロボロになる度に自信になっていった。

受験当日、ラッキーナンバーは「8」

受験当日、本日のラッキーナンバーは8だと朝の情報番組でやっていた。

受験会場に向かう私はなぜか8の数字が気になって仕方がなかった。会場で自分の席に着くと自分の受験番号の下2桁が8であることに気が付いた。

あと1つ8があれば合格できるのに…なんとなくそんな風に思った。

受験開始してからぞろ目に

受験開始時間になってまずは受験の説明が始まった。その時、目の前を何かが横切った。何と本当に蜂が飛んでいた。

蜂に気が付いて受験生が騒ぎだし、少しパニックになったが私は何故かこれで合格できると思った。

8が3つ揃った気がした。

蜂は少し会場内を飛び回っていたがやがてどこかに飛んで行ってしまった。

きっと合格できる!逆転の予備校

ワクワクが止まらない。

奇跡的にも蜂が飛んでるなんて。願掛けのお陰か問題は簡単に解けていった。

発表当日

合格発表の日、家に郵送されてくる結果が怖くて、予備校の自習室にいた。

この頃には何人かが合格発表が終わっていて誰々さんが合格!と張り出しもされ始めていた。午後まで時間を自習室でつぶすと、皆に見送られながら自宅に向かった。

自分の家の郵便ポストに向かうのがこんなにも怖いとは。

ポストが見るのが怖い

現役の時に不合格通知しかみていないから不合格時の封筒の薄さは知っていた。

自宅に着くと何回も家の前を通り過ぎやがて意を決意して家のポスト見た。

ポストからはみ出した封筒をみて握りこぶしを上げてよし!って叫んだのを忘れない。

予備校に合格の電話をすると事務員のお姉さんも先生も皆代わる代わる電話に出て喜んでくれた。

泣いている先生もいた。1年の浪人生活が幕を下ろした瞬間だった。

翌年の春にはすべての受験が終わってなんと全員が合格していた。それを見送るように予備校は閉校し大阪から姿を消した。